2009年11月7日土曜日

映画レビュー #3 戦場のピアニスト

第三回目は、これまた有名な「戦場のピアニスト」。
迫害から奇跡的に生き延びたユダヤ人ピアニストのお話です。

あらすじ:
  ポーランドの有名なピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンはワルシャワのラジオ局でピアノを弾いていた。ところが、突然爆風が舞い込んできた。1939年9月、第二次世界大戦が勃発し、ドイツのポーランド侵攻が始まったのだ。ポーランドは占領され、ユダヤ人への迫害は日に日にひどくなっていった。多くのユダヤ人が収容所送りにされたが、シュピルマンは警備をしていた知り合いのヘラーによって助けられ、強制的に移住させられていた地区からの脱出を決意する。しかし残されたユダヤ人やポーランド人は武力蜂起を始めたものの、ドイツ軍に敗れてワルシャワは廃墟となってしまった。そしてシュピルマンはしばらくその廃墟に隠れていたが、とうとうドイツ軍将校のヴィルム・ホーゼンフェルトに見つかってしまう。しかし、ホーゼンフェルトはシュピルマンがピアニストであることを知ると、曲を何か弾くように求めた。その後ホーゼンフェルトは、ソ連軍が侵攻して撤退を余儀なくさせられるまで、シュピルマンに食糧を運んで助けた。第二次世界大戦が終わってシュピルマンが再びこの地を訪れた時には、そこはただ空き地が広がるばかりであった。

感想:
  あらすじからして重い内容であることはよく分かると思います。ドイツ軍によるユダヤ人の無差別殺人のシーンが数多くありましたが、映像で見るとやはり衝撃的です。(自分も実際にその場所に居合わせていたら、とてもこんな感想は言えないでしょうが
  ユダヤ人を迫害したと聞くと、それに関わった人全員が悪人のように思いますが、中にはヘラーやホーゼンフェルトのように良い人もいたということがこの作品を見ると分かります。
  家族を失い、一時は食糧がなくなって内臓疾患になり死にかけたシュピルマンですが、終戦後は再びラジオ局でピアノを弾くことが出来たというのが唯一の救いではないでしょうか。最初のシーンでシュピルマンが弾いていた、ショパンの『夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」』という曲が有名になっていますが、むしろ自分はホーゼンフェルトに頼まれて弾いた、同じくショパンの『バラード第1番ト短調作品23』のほうが心に残っています。

参考文献:
"戦場のピアニスト",フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』